相撲界には、幼少期から相撲に親しみ、着実に実力をつけてプロの世界へと進む力士が多くいます。麒麟龍 勇人(きりんりゅう はやと)もその一人で、東京都墨田区出身の二所ノ関部屋所属力士です。最高位は幕下39枚目。
では、彼はどのような学歴を経て、大相撲の世界へと進んだのでしょうか。

今回は麒麟龍の小学校から高校までの学歴と、相撲にかける熱い思いを詳しく調査しました。
麒麟龍のwiki風プロフィール


しこ名:麒麟龍 勇人(きりんりゅう はやと)
本名:竹岡 勇人
生年月日:平成13年12月21日(2001年12月21日)
年齢:23歳(2025年3月時点)
身長:175.0cm
体重:112.7kg
出身地:東京都墨田区
学歴:
小学校:両国小学校
中学校:新潟県糸魚川市立飯生中学校
高校:海洋高校
所属部屋:二所ノ関部屋
初土俵:令和2年1月場所
最高位:幕下39枚目
得意技:寄り切り、押し出し、下手投げ
麒麟龍の学歴|小学校はどこ?
両国小学校


麒麟龍が相撲に触れたのは、東京都墨田区にある両国小学校に通っていた小学4年生の頃でした。この時期から彼は相撲に夢中になり、墨田区相撲連盟と三鷹市相撲クラブの両方に通い、本格的に相撲の技術を磨き始めます。
墨田区は国技館があることからも相撲の盛んな地域であり、そんな環境の中で彼の相撲への情熱はますます高まっていきました。
また、母方の祖父母が墨田区で精肉店を営んでいたこともあり、幼少期から力士が買い物に来る姿を間近で見て育ちました。その経験が、彼が相撲の世界に飛び込む大きなきっかけとなったのです。
麒麟龍の学歴|中学校はどこ?
能生中学校


小学校卒業後、麒麟龍は相撲の強豪校として知られる新潟県糸魚川市立能生中学校へ進学しました。
この中学は全国的にも有名な相撲の名門校であり、彼はここでさらに腕を磨いていきます。
地元東京を離れ、新潟で相撲に打ち込むという選択は、彼の強い意志と覚悟の表れだったことでしょう。飯生中学時代には、全国大会での活躍も期待される存在となり、確実に実力を伸ばしていきました。
- 全国中学校相撲選手権大会
2016年大会の中量級で3位入賞
- 北信越中学校総合競技大会
2019年度の個人戦で3位入賞
麒麟龍の学歴|高校はどこ?
新潟海洋高校
海洋高校は多くの力士を輩出していることで有名であり、ここでの3年間は彼の相撲人生にとって大きな財産となったことでしょう。特に高校3年次には、全国大会である十和田大会の団体戦で準優勝という輝かしい成績を収め、チームの中心選手として活躍しました。
高校相撲はプロへの登竜門とも言われ、厳しい練習と競争が待ち受けています。その環境の中で結果を残した麒麟龍は、さらに自信を深め、プロの世界へ進むことを決意するようになります。
- 大の里 おおのさと )
- 欧勝海(おうかつうみ)
- 嘉陽(かよう)
- 白熊(しろくま)
- 王輝(おうき)
海洋高校相撲部は凄い!
- 125年の伝統を持つ名門相撲部
- 全国優勝25回の輝かしい実績
- これまでに11人の力士を角界に輩出
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麒麟龍の大相撲入門のきっかけは?
実は錦風と麒麟龍の父親が知り合いであったことがきっかけで、尾車部屋の体験入門に参加する機会を得たのです。そこで出会ったのが、当時の尾車部屋の名力士・嘉風関(現・中村親方)でした。
嘉風関の指導に直接触れたことで、麒麟龍はますます相撲に魅了され、「この人のもとで相撲を学びたい」という強い想いを抱くようになりました。そして、ついにプロ入りを決意し、角界入りを果たしたのです。
麒麟龍の二所ノ関部屋への移籍と現在


現在、麒麟龍は幕下で奮闘中です。(令和7年3月時点)
東京・両国国技館を本拠地とする墨田区出身の力士として、地元のファンの期待も大きい存在です。さらに、幕内の白熊関や関脇の大の里関と同じ学校の出身であり、直系の後輩としての誇りを胸に、日々精進を続けています。
また、話題となったのが、白熊関の決起集会でのエピソードです。麒麟龍が白熊関の名を使って寿司屋を予約したという話が報道され、「キリンがシロクマの名で店を予約した」と話題になりました。このようなユーモラスな一面も、彼の魅力の一つでしょう。


まとめ
麒麟龍 勇人の学歴を振り返ると、相撲に打ち込むために地元東京を離れ、新潟や相撲の名門高校で鍛え上げられたことが分かります。幼少期から続けた相撲への情熱と、厳しい練習を乗り越えてきた努力が、彼の土俵上での力強い取り組みに繋がっているのでしょう。
これからも麒麟龍の活躍から目が離せません。次の場所ではどのような相撲を見せてくれるのか、今後の成長が楽しみです。