力士・米沢龍は、柔道から相撲へと華麗な転身を遂げた異色の力士として話題を集めています。中学・高校時代に柔道で全国大会に出場し、圧倒的な実力を誇っていた彼は、相撲でもその柔道仕込みの体の使い方を活かし、独自の取り口で注目を浴びています。
柔道時代の栄光と現在の挑戦が交錯する姿は、多くのファンの心を掴んでいます。米沢龍のプロフィールを深掘りし、土俵で輝く理由に迫ります。彼の過去、そして未来への期待を感じずにはいられません!

イケメン力士で話題の米沢龍さん。
日大柔道部をやめ、未経験で相撲界に挑戦した期待の力士です。
ぜひ最後まで見てくださいね!
米沢龍(力士)のwiki風プロフィール


しこ名: 米沢龍(よねざわ りゅう)
本名:五十嵐大喜 (いがらし だいき)
生年月日: 2005年3月28日
年齢: 19歳
身長: 190cm
体重: 133kg
出身地: 山形県米沢市
出身校:
- 米沢市立西部小学校
- 米沢市立第三中学校
- 米沢中央高等学校
- 日本大学(中退)
所属部屋:境川部屋
初土俵:令和6年5月場所
主な経歴: 第44回全国高等学校柔道選手権 山形県予選 無差別級優勝
得意技:四つ相撲、突っ張り
目標の力士:高安
趣味:映画鑑賞
好きな学科:音楽
嫌いない学科:数学、国語
好きなテレビ番組:モニタリング
好きな有名人:村尾三四郎(柔道家)


新弟子検査で圧倒的な筋力を見せたのが、米沢龍さん。
なんと、背筋力は「230kg」、握力は右「70kg」、左「79kg」という怪力。
日々の稽古と筋トレで、現在はよりパワーアップしているかもしれません。
幕内で米沢龍さんの圧巻のパワーに酔いしれる日もそう遠くないはずです!
米沢龍がハーフと言われる理由は?⬇️


米沢龍の学歴|出身小学校はどこ?
米沢市立西部小学校


小学校時代には、スポーツ少年らしく、バスケットボールに熱中していたそうです。小学校1年生から6年生まで、約6年間もバスケットボールを続けていたというのは、意外に思われる方もいるかもしれません。
しかし、バスケットボールで培われる俊敏性や全身運動の能力は、柔道や相撲といった格闘技にも通じる部分が多くあります。
幼い頃から多様な運動経験を積んでいたことが、彼の身体能力の土台をしっかりと作ったと言えるでしょう。
米沢市立西部小学校はどこにある?
米沢龍の学歴|出身中学校はどこ?
柔道エリートの礎はここで築かれた!米沢市立第三中学校時代


中学校に進学してからは、スポーツの幅をさらに広げます。中学1年生から3年生にかけて取り組んだのは、ソフトテニスです。バスケットボール、ソフトテニスと、柔道や相撲とは一見異なる球技を選択しているのが興味深いですね。
ソフトテニスで培われる反射神経やフットワーク、相手との駆け引きといった要素も、後の彼の柔道や相撲に何らかの良い影響を与えているのかもしれません。
そして、この中学時代こそ、彼が本格的に柔道の道へと足を踏み入れた時期でもあります。
中学1年生から柔道を始め、すぐにその才能の片鱗を見せ始めます。小学校時代のバスケットボールやソフトテニスで鍛えられた身体能力が、柔道という競技で一気に開花していく時期だったのでしょう。
柔道という厳しい世界に飛び込み、心技体を鍛え始めた米沢市立第三中学校での日々が、柔道エリート・五十嵐大喜の礎を確実に築き上げていったのです。


ネットで記録が残っているのは2019年の山形県中学校総合体育大会。米沢中学校時代は90kg超級で出場していました。その時は、惜しくも2回戦で敗退しています。
中学時代から90kg越えの体格だったようです。



柔道とソフトテニスという対照的なスポーツを2刀流していたというのは意外なエピソードですよね!
米沢第三中学校はどこにある?
米沢龍(力士)の学歴|出身高校はどこ?
全国への扉を開けた青春!私立米沢中央高校で掴んだ柔道家としての栄光


中学時代に柔道で頭角を現した五十嵐大喜青年は、高校へ進学後、さらに柔道の腕を磨き上げました。彼の進学先は、地元の強豪校である私立米沢中央高校です。
ここでは、より高いレベルでの指導を受け、全国を目指す仲間たちと共に、厳しい稽古に明け暮れる日々を送ったことでしょう。
全国高校柔道選手権大会山形県予選では無差別級で優勝をしています。


階級制のある柔道において、体重に関係なく強さを競う無差別級は、文字通り「柔道の王者」を決める最も注目されるカテゴリーの一つです。
その全国大会に、高校2年生という早い段階で出場できたこと自体が、彼の柔道家としてのポテンシャルの高さを証明しています。
190㎝の米沢龍さんは、全国大会に出場したことで一躍、注目されるようになったのではないでしょうか。
米沢中央高等学校の偏差値は?


- 米沢中央高等学校には普通科で2コースあります。
- 普通科特別進学コースは偏差値54、普通科キャリア教育コースは偏差値42です。
米沢龍さんがどちらのコースで学んでいたかは不明です。
米沢中央高等学校はどこにある?
米沢龍の学歴|出身大学はどこ?
日本大学


高校卒業後は日本大学へと進学し柔道部に所属していたが、わずか1年で中退して大相撲の世界へと飛び込んだ。
出典:ABEMA TIMES 2024年7月18日記事を引用
日本大学の柔道部時代には、リオオリンピック100キロ超級の銀メダリストの原沢久喜選手の練習パートナーとして務めていました。
米沢龍はなぜ日本大学を中退した?
米沢龍さんは米沢中央高校を卒業後、日本大学に進学しています。
しかし、わずか1年で中退をしています。



なぜ名門の日本大学を中退したのでしょうか?その理由は?
2024年月刊「相撲」で次のように答えています。
日大では相撲部に所属していたが、「勉強が嫌いだったので」と大学を1年で中退をしています。
引用元:月刊「相撲」2024年11月号
また、山形から東京に出てきて柔道部の環境に馴染めなかったのかもしれません。
一方で、相撲は全くの未経験。しかし、恵まれた体格と柔道で全国大会に出場した実績から、相撲界に挑戦することは迷いがなかったようです。



「相撲は未経験ですが、上がります。自信あります」
米沢龍(力士)は境川部屋所属
その後、日大相撲部の監督と師匠(元小結・両国)が同じ日大出身ということもあり、境川部屋に入門をしています。
親方からは、長いリーチをいかした「突っ張りの習得」を命じられています。



身長190㎝の米沢龍さんが立ち合いで突っ張りで間合いをとれば、相手の力士も自分の相撲を取りづらいですよね!
柔道着を脱ぎ、まわしを締めた米沢龍さん。
彼の相撲のキャリアは、柔道で培われた強靭な肉体と精神力、そして高校相撲で得た経験を土台に始まっています。プロの世界である大相撲の土俵は、学生相撲とは比べ物にならないほど厳しく、毎日が真剣勝負です。
米沢龍関の相撲スタイルには、柔道経験が色濃く反映されています。特に、柔道で鍛え抜かれた【体幹の強さ】と【バランス感覚】は、彼の大きな武器となっています。
相手に当たられても簡単には体勢を崩さず、重心を低く保って粘ることができるのは、柔道で受け身や投げ込みを繰り返してきた成果でしょう。
また、柔道の得意技だった大外刈りや内股で培った【相手の重心を崩す技術】や、【足腰の強さ】は、相撲の投げ技や足掛け、土俵際での逆転劇にも繋がっています。
立ち合いの鋭さ、押しや寄りの力強さに加え、時には柔道仕込みの体捌きで相手を翻弄するなど、彼の相撲は他の力士とは一味違った魅力があります。柔道の技術と相撲の技術を融合させ、自分だけのスタイルを確立しようと日々努力しているのでしょう。
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まとめ
米沢龍関こと、本名・五十嵐大喜さんのこれまでの歩みは、柔道家としての輝かしい実績と、力士としての新たな挑戦という、非常にユニークなストーリーに彩られています。
山形県米沢市で生まれ育ち、小学校でバスケットボール、中学校でソフトテニス、そして柔道と、様々なスポーツを経験。
米沢龍関のキャリアは、まさに「異色」という言葉がぴったりです。柔道と相撲、二つの世界を高いレベルで経験してきた彼は、他の力士にはない独特の引き出しを持っています。その柔道魂を胸に、日本の国技である相撲の世界で、彼は一体どこまで駆け上がっていくのでしょうか。
彼の挑戦は、私たちに過去の経験を活かしつつ、新しい分野に飛び込む勇気を与えてくれます。米沢龍関の土俵での今後の活躍に、ぜひ注目していきましょう。
柔道と相撲、二つの道が交差する彼のキャリアは、きっと私たちにたくさんの感動を与えてくれるはずです。彼の未来は、まだまだ始まったばかりです!応援、よろしくお願いします!
・米沢龍は大学まで柔道をしていた。
・米沢中央高校時代は無差別級で山形大会を優勝し、全国大会に出場した。
・日本大学柔道部に進学するも、1年で中退し相撲界へ挑戦をした。