テレビドラマ『TRICK』『医龍』などで味のある演技力を見せてくる池田鉄洋さん。俳優以外でも、声優や演出家、脚本家、バラエティー番組にも出演するなど、多方面で活躍をされています。
この記事では、池田鉄洋さんの両親について深掘りしていきます。ぜひ最後まで見てくださいね。
池田鉄洋Instagramより
・池田鉄洋さんの父はどんな人?
・池田鉄洋さんの母はどんな人?
・離婚を経た壮絶な人生ドラマ
池田鉄洋の父
『広告会社』に勤めていた父
池田鉄洋さんお父様は広告会社に勤めていました。
時は高度経済成長でイケイケドンドンの日本。仕事一筋で、朝早くに出勤し、終電間際に自宅に帰るという生活。昭和の典型的なサラーリーマンでした。
休日出勤も当たり前。池田鉄洋さんは幼少期に父親と遊んだ記憶がほとんどなかったと語っています。
「愛情不足』で育ってきた父
池田鉄洋さん父に対して、次のようなことを語っています。
「純粋でまっすぐな人なんですよね。何か伝えたいけれど方法が分からない。」
日本経済新聞夕刊2019年2月12日記事より引用
もしかしたら、お父様も愛情を十分に与えられずに育ってこられたのかもしれません。親から子への愛情の有無は、自身が親になった時にも、影響を与えます。
私も映画『笑顔の向こうに』で主人公の父を演じましたが、息子との距離感、ぎこちなさはそんな自分の親子関係を重ねた面があったかも。実父は私にとって反面教師でしかありませんが、似ているところもあり
日本経済新聞夕刊2019年2月12日記事より引用
お父様と似ているところもあると語る池田鉄洋さん。その経験こそが、『俳優池田鉄洋』の演技力にいかされているのかもしれません。
池田鉄洋の母
スタイリストをしていた超美人ママ
池田鉄洋さんの母は愛媛県出身です。上京後、30代半ばに昔から憧れていた「スタイリスト」の仕事に就くことになりました。池田鉄洋さんは、幼少期、父も仕事で自宅を空けることが多かったため、妹と一緒に連れられて母のの仕事場へ行っています。
母は仕事が俳優と関わることが多かったため、池田鉄洋さんもその姿を目にしていたはずです。彼が、俳優を目指したきっかけに少なからず影響があったのではないでしょうか。
それにしても、お母様は本当に美人です。池田鉄洋さんのファンからもこんな声が・・・
お美しいお母様ですね。池田さんもめちゃくちゃかわいいです。素敵なお写真です
お美しいお母様。
かわいい赤ちゃん。
恋多き母
池田鉄洋さんは母のことは『開けっ広げな性格』と表現しています。言い換えれば、隠し事なく、素直に思ったことを言う人ということでしょうか。
一方で寂しがり屋という一面もあったそうです。お酒が好きで飲み歩くことを楽しみにしていた母は、その寂しさを紛らわすために、男性との数多くの交友もあり、浮き名を流していたという逸話も・・・。
聞き上手で美人となると、男性が寄ってくるのもうなづけます。
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池田鉄洋の父親と母親 離婚を経た壮絶な人生ドラマ
両親の離婚
ご両親は、池田鉄洋さんが小学校6年生の時に離婚されています。広告マン、愛情不足で育ちTHE昭和の男性といった父。他方、開けっ広げな性格でかたや寂しがりで愛情に飢えていた美人母。
この2人が夫婦として生活を営むことはどう考えても難しいのではなかったのではないでしょうか?』
当時の鉄洋少年は、自宅の居間から、両親の離婚の話し合いの一部始終を見ていたのです。子供ながらに、当時の心境をこう語っています。
母がもともと父との結婚に乗り気でなかった
父は私にとって母が我慢している相手でしかなく、母を守らねばと心に決めていましたね。母は青春を取り戻したくて、華やかな仕事に挑戦したのかもしれません
日本経済新聞夕刊2019年2月12日記事より引用
元々、結婚に乗りきではなかったということは恋愛ではなく、お見合い結婚だったのではないかと推測されます。
再婚するも苦労の連続
池田鉄洋さんのお母様は、広告マンの夫と離婚後に再婚されています。しかし、男運がなかったのか、苦労の連続だったようです。その当時のことを、池田鉄洋さんは次のように語っています。
確かに苦労はさせられました。母は男を見る目がないというか……。受け身で依存心が強く、父と別れて再婚した2人目のおやじも大変な人でしたし。母本人は『遊びすぎて』なんて言いましたが、今思えば、我慢してきた面があったんじゃないかと。
日本経済新聞夕刊2019年2月12日記事より引用
寂しがり屋で愛情に飢えていた母。依存心が強いのが裏目にでて、良縁に恵まれなかったようです。
母の最後の言葉は『遊びすぎてごめんね』
2023年3月に池田鉄洋さんの母はお亡くなりなられています。
当時、ドラマ『子育てプレイ』の演出(監督)をしていた池田鉄洋さん。忙しさのあまり、スマホの電源を切っていました。ドラマの休憩の合間に、電源を入れると、着信の嵐。妹からの電話でした。
前日に母の誕生日だったこともあり、嫌な予感。
あえて折り返しの電話をせず、そのまま電話を切った彼。すぐに駆けつけることは出来なかったため、そのまま仕事を続行したとのことです。
意識がなくなる直前に、お見舞いに行った時の、母からの最後の言葉は
『遊びすぎてごめんなさい』
彼は、どのような心境で母の言葉は受け入れたのでしょうか?
苦労させられた一方で、両親に対して次のような言葉でかけられています。
「面白い生きざまをみせてくれた両親に感謝しています」
日本経済新聞夕刊2019年2月12日記事より引用
幼少期から親の影響で受けた苦労も、「感謝」の一言で包み込む懐の深さ。俳優池田鉄洋さんの人間性の素晴らしさを感じさせれるエピソードでした。
まとめ
・父は広告会社に勤めていた。
・母は30代半ばからスタイリストとして仕事をしていた。
・池田鉄洋さんが小学校6年生の時に両親は離婚した。
・母は再婚をするも、男運がなく、苦労の連続だった。
池田鉄洋さんには、いつか本人の壮絶な人生をもとにした、舞台やドラマを作ってもらうことを期待したいですね。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
以上、日刊主夫メディア いまあすでした。