パリオリンピックの男子ハンドボール代表に選出された玉川裕康。名前はバリバリの日本人ですが、容姿はハーフっぽいですよね。
この記事では、玉川裕康の経歴や家族構成を振り返りながら、気になる「玉川裕康 ハーフ」の真相に迫っていきます。
ぜひ、最後まで見てくださいね。
玉川裕康はハーフ?
イラン人の父と日本人の母とのハーフ
玉川裕康選手はイラン人の父と日本人の母との間に生まれています。兄弟はおらず一人っ子。イラン人の血を引き継ぐ彼は幼少期から恵まれた体格で、周囲からも一目置かれた存在だったようです。
イラン人と日本人のハーフのアスリートと言えば、そう、MLBで活躍しているダルビッシュ有投手。彼も196㎝と恵まれた体格で甲子園でも別格の存在でした。
また、バレーボール界にもまた1人。法政大学に所属する日本代表歴もある高橋慶帆選手。身長194㎝で、超イケメンな彼は、将来の日本のバレーボールー界を背負う存在です。
玉川裕康選手のように、イラン人の血を受け継ぐ選手は日本人の選手と比較しても、抜群の身体能力の高さが見て取れます。
あのハンドボールを世間に広めた宮崎大輔さんも玉川裕康の身体能力の高さを次のように語っています。
「注目するのはハンドボール界のダルビッシュ、規格外の体でスピードがある。」
「位置取りがすごいうまい、駆け引きをやっている。サイド(端っこのこと)でミスマッチを誘ってもう1人の選手が嫌がったところにシュートを打たせている」
ハンドボールに反対した父
玉川裕康選手は、中学校からハンドボールは始めています。それまでは、5歳の頃に祖母に勧められた剣道をしていました。
中学時代は、幼少期にテレビで見たサッカーワールドカップに触発されて、チームスポーツを複数経験したそうです。
中学時代の身長はすでに180㎝に達していた玉川裕康選手。バレーボールやバスケットボールからの誘いもあったのでしょう。
そこからなぜ、ハンドボールを選んだのか?
そこには、当時、JOCジュニアオリンピックでオリンピック有望選手として選ばれたこと大きな要因だったのではないでしょうか。スピード、パワー、高さ、兼ね備えた彼には、ハンドボールという競技がマッチしたようです。
しかし、玉川裕康選手のお父様は、大切な一人息子にはサッカーや野球などのメジャーなスポーツをしてほしかったため、当初はハンドボールをすることに反対でした。
筆者も、高校時代からハンドボールをしています。スピードと絶え間なく攻守が入れ替わるハンドボールはとても魅力的なスポーツです。ただし、他のスポーツと比べ注目度が低く、寂しい思いもしたことあったのも事実。
競技人口やテレビの露出など見ても、ハンドボールはマイナースポーツの域を脱したとは言えません。メジャーなスポーツで活躍してほしいという玉川裕康選手のお父様の思いは十分に理解はできます。
他界した母
2014年にお母様は他界されています。当時、14歳の玉川裕康選手。思春期に入る頃のお母様との別れはとても辛かったのではないでしょうか。
そこからは、お父様との2人暮らし。絆もより深まったことだと思います。
社会人になっても、月に1回はお父様との食事をし、メールのやり取りも欠かさずしているとのことです。
家族思いで優しい一面が垣間見れます。
玉川裕康のwiki風プロフィール
玉川裕康プロフィール
氏名:玉川 裕康 (たまかわ ひろやす)
生年月日:2000年5月8日
年齢:23歳
身長:198cm
体重:112kg
血液型:A型
出身地:埼玉県埼玉市
出身校:さいたま市立西浦和小学校→さいたま市立田島中学校
浦和学院高等学校→国士舘大学
所属先:大崎電通 →ジークスター東京
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まとめ
・玉川 裕康選手はイラン人の父と日本人の母との間に生まれたハーフ。
・中学時代、ジュニアオリンピックのオリンピック候補生として選ばれていた。
・父は当初、ハンドボールをすることに対して反対をしていた。
・玉川裕康選手の母は2014年に他界している。
最後までお読みいただきありがとうございました。
以上、日刊主夫メディア いまあすでした。