110年ぶりの新入幕優勝を果たした角界の怪力力士、尊富士関。この強さの秘密は意外にもおとなしく華奢だった幼少期にあるようです。
この記事では、尊富士関の両親、兄妹、祖父母について調査をしました。
ぜひ最後まで見てくださいね!
尊富士の原点は母、祖父母にあり?
ぜひ最後まで見てくださいね!
尊富士のwiki風プロフィール
しこ名:尊富士(たけるふじ)
本名:石岡 弥輝也(いしおか みきや)
生年月日: 1999年4月9日
年齢: 25歳 (2024年9月時点)
身長: 184cm
体重: 143kg
血液型:A型
出身地: 青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市)
出身校:つがる市立木造中学校→鳥取城北高等学校 →→日本大学(法学部)
所属部屋:伊勢ヶ濱
初土俵:令和4年9月場所
最高位:前頭6枚目
得意技:押し、右四つ、寄り
尊富士の家族構成
父親:石岡直樹さん(年齢不明)
母親:石岡桃子さん(48歳)
長男;石岡樹揮也(じゅきや)さん (27歳)
次男:石岡弥輝也(みきや)さん←尊富士関 (25歳
三男:石岡樹衣揮(じゅいき)さん (23歳)
長女:石岡樹映瑠(じゅえる)さん (21歳)
※2024年末時点の年齢。
尊富士の両親|父親は?
石岡直樹さん
尊富士関がが中学生の時に両親がを離婚しています。お父様の年齢や職業については情報はありませんでした。分かり次第、追記します。
長男さんの誕生時のコメントを見ても、「関取になってほしい」との希望をされています。お父様は相当、相撲好きだったのではないでしょうか。
尊富士関は父親とは交流あり?
Xで次のような情報がありました。
ご両親は中学生の時に離婚されていますが、疎遠にはなっていなようです。
定期的に連絡ぐらいは取り合っていたのかもしれません。
尊富士の両親|母親は?
石岡桃子さん
母親の桃子さんは離婚後、女手一つで4人の子供を育てあげています。お仕事は2つの仕事をかけもちでされていたようです。尊富士関が母親思いの優しい子供として知られているのも、お母様の苦労を知っているからこそですね。
2つの仕事を掛け持ちしながら、祖父母のサポートを借りて4人きょうだいを養ってきた。
引用元:
その他、尊富士関の母の情報をまとめると次のようになります。
- 青森山田高校の元陸上部。
- 尊富士が中学生の頃に離婚。
- 複数の仕事をかけもちしながら4人の子供を育てた。祖父母のサポートがあった。
- 初優勝時に美人ママで話題になった。
お母様が元陸上選手というのが、身体能力の高さ、立ち合いのスピードから息子である尊富士関にも受け継がれているようです。
お母様は尊富士関の幼少期について次のように語っています。
「優しい性格で、特に兄弟の中で母親思いの子でした」
「小さい頃は痩せていた、風邪をひきやすい子供だったでよく心配していました」
「兄弟がちょっかいをかけても、嫌がらない子。家族の中では癒しの存在でした」
尊富士の兄弟(兄妹)は?
尊富士は4人兄妹
ご兄弟は皆、かわいらしいお顔立ちをしていますね!
- 長男;石岡樹揮也(じゅきや)さん 1997年7月生まれ(27歳)
- 三男:石岡樹衣揮(じゅいき)さん 2001年1月30日生まれ(23歳)
- 長女:石岡樹映瑠(じゅえる)さん 2002年又は2003年生まれ (21歳)
集合写真の表情を見ても家族の仲の良さが垣間見れます。
そんな4兄妹は全員相撲をしていました。しかし、中学生になると別の道を進み始め、唯一大学まで続けたのが尊富士関のみ。
兄弟の中で華奢でおとなしい存在だった尊富士関が角界で大暴れするとは当時は思いもよらなかったのではないでしょうか。
尊富士の祖父母は?
工藤弘美さん(祖父)、工藤洋子さん(祖母)
尊富士関のご両親が離婚をされて以降、母方の祖父母の支えが大きかったようです。
相撲を始めたのは祖父の影響
・日大元理事長でアマ34冠の故田中英寿氏と同じ故郷。一緒に相撲をとったこともある。
・青森県代表として国体にも出場。
・プロ入りも目指していたが、新弟子検査で当時の基準だった身長173㎝に足りずに力士の夢を諦めた。
・孫4人に相撲をさせた。
・孫に相撲を継続させるために、稽古の後にアイスやおやつを買うニンジン作戦を実施していた。
・尊富士関の角界入りは当初は反対していた。(関取に慣れるのは1割程度なため)
中学生になる頃には相撲をやめた孫たち。唯一継続していたのが尊富士関です。
そんな、尊富士関が伊勢ヶ濱部屋の公式プロフィールに尊敬する人(心の師匠)にあげているのが祖父母。
祖父母がいなければ、今日の尊富士関は生まれなかったかもしれません。
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