式守風之助の退職理由3選!不祥事は憶測!趣味の落語家への転身も!?

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「将来の立行司」とまで期待された若き才能が、なぜ角界を去ったのか。

2023年7月に16歳で初土俵を踏み、その初々しい所作と堂々たる土俵態度で多くの相撲ファンを魅了した序ノ口行司・式守風之助(本名:渡邉剛翔さん)が、2025年7月28日付で日本相撲協会を退職したという衝撃のニュースが駆け巡りました。

多くのファンが「いったい何があったのか」「不祥事でも起こしたのか」と彼の身を案じています。

この記事では、多くの憶測を呼んでいる彼の退職理由について、所属していた押尾川部屋との関係や角界の現状を深く掘り下げ、その真相に迫ります。

この記事を最後まで読めば、憧れを胸に角界の門を叩いた一人の少年の決断の背景を、より深く理解することができるでしょう。

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目次

式守風之助のプロフィール

本名:渡邉剛翔(わたなべ たくと)

生年月日:2007年7月6日

年齢:17歳(2024年現在)

出身地:静岡県掛川市

身長:167cm

学歴:静岡県掛川市立大須賀中学校

所属部屋:押尾川部屋

初土俵:2023年7月場所(序ノ口格行司)

苦手なこと:字を書くこと

趣味:落語(6代目三遊亭圓生のファン)

夢と希望に満ち溢れた、若き日の風之助

式守風之助こと渡邉剛翔さんは、静岡県掛川市の出身。彼が相撲の世界に魅了されたのは、中学1年生の時でした。

コロナ禍の休校期間中、テレビでたまたま目にした大相撲中継。

そこで彼の心を鷲掴みにしたのが、土俵の中央で力士たちを裁く、華麗な装束をまとった行司の姿でした。

特に彼が憧れたのが、第41代式守伊之助(のちの第38代木村庄之助)でした。 その仕事に強い興味を抱いた彼は、当時の立行司・木村庄之助に手紙を書くという行動に出ます。その情熱が通じ、紹介されたのが元関脇・豪風が師匠を務める押尾川部屋でした。

2023年4月に入門し、同年7月場所で「式守風之助」として初土俵。 16歳という異例の若さでのデビューは、大きな話題を呼びました。趣味は落語鑑賞で、特に六代目三遊亭圓生のファンという古風な一面も。

将来は憧れの伊之助のように、立行司として土俵に立つことを夢見て、日々の厳しい稽古と裏方の仕事に励んでいました。

ちゃんこ番を務めるなど、力士を支える仕事にも献身的に取り組んでいたと言います。その真面目な仕事ぶりと、時折見せるあどけない表情のギャップから「風たん」の愛称で親しまれ、多くのファンが彼の成長を温かく見守っていました。

式守風之助が不祥事?退職理由3選!

夢破れたのか、それとも…?憶測の渦が彼を包む

出典:every しずおか

将来を嘱望された若き行司の、あまりにも突然で不可解な退職。

日本相撲協会からの公式発表は「退職は事実」というのみで、その理由は明かされていません。[1] そのため、ファンの間では様々な憶測が飛び交っています。ここでは、考えられる3つの退職理由について、角界の事情を交えながら考察していきます。

大相撲の序ノ口格行司、式守風之助(かぜのすけ、18=押尾川)が、今月28日付で日本相撲協会を退職したことが31日、分かった。

引用元:日刊スポーツ 2025年7/31(木)

退職理由①:伝統の重圧か、それとも人間関係の軋轢か

まず考えられるのが、角界特有の厳しい上下関係や、所属部屋の環境に適応できなかった可能性です。行司の世界は、力士同様、厳しい階級社会です。

新弟子は「見習い」から始まり、先輩行司の指導のもと、部屋の雑務をこなしながら仕事を覚えていきます。十両格以上の行司になるまでは裸足で土俵に上がらなければならず、一人暮らしも許されないなど、その生活は厳しい制約に満ちています。

風之助が所属していた押尾川部屋は、2022年2月に尾車部屋から独立して新設された比較的新しい部屋です。彼が入門した際には「すごくいい部屋で。紹介してもらって、すごくいい環境で過ごさせてもらっています」と語っていました。

しかし、理想と現実のギャップに悩むことは、どの世界でも起こり得ることです。師匠である押尾川親方(元関脇・豪風)や兄弟子たちとの間に、何かがあった可能性も完全には否定できません。

[12] 近年、若手行司の離職率は決して低くなく、伝統的な角界の体質が現代の若者の価値観と合わなくなってきているという指摘もあります。

退職理由②:まさかの不祥事?疑惑…清廉なる土俵に走った衝撃

次に、多くの人が最も気にかけているであろう「不祥事」の可能性です。

過去には、立行司が若手行司へセクシャルハラスメントを行い、懲戒処分の末に退職したという痛ましい事件もありました。このような事件が起きた場合、通常、日本相撲協会から何らかの形で事実関係が公表されます。

八角理事長(元横綱北勝海)をはじめ、相撲協会執行部が数時間にわたって事実確認した内容は、立行司の式守伊之助による10代の若手行司へのセクハラだった。

引用元:日刊スポーツ 2018年1月6日

しかし、今回の風之助の件に関しては、協会からの詳細な説明は一切ありません。

このことから、何らかの規律違反やトラブルがあったとしても、公にできない、あるいは内々で処理された可能性が考えられます。

SNSなどでは「不祥事」というキーワードと共に様々な憶測が飛び交っていますが、

現時点ではあくまで噂の域を出ず、確たる証拠はありません。彼の清廉なイメージを信じるファンからは、憶測だけが先行することへの懸念の声も上がっています。

退職理由③:憧れと現実の狭間で揺れた心、落語会への転身もある!?

最後に考えられるのが、彼自身が描いていた未来と、行司という職業の現実との間に生じたギャップです。

憧れの41代式守伊之助のようになりたい、という純粋な夢を抱いて角界入りした風之助。 しかし、行司の道は想像以上に長く険しいものです。

行司の階級は、下から序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内、三役、そして立行司(式守伊之助、木村庄之助)と厳格に定められています。

昇進は年功序列が基本で、立行司にまで上り詰めることができるのは、ほんの一握りです。 定員も45名と狭き門であり、幕下格以下の行司は場内アナウンスで名前が呼ばれることさえありません。

給与も階級によって大きく異なり、序ノ口格では月に2万円にも満たないのが現実です。

18歳という多感な時期に、そうした厳しい現実を目の当たりにし、「本当にこの道でいいのか」と自問自答したとしても不思議ではありません。 趣味である落語の世界など、角界の外にある新たな可能性に目を向けた結果の決断だったのかもしれません。

大好きな「落語家」への転身もあるかも・・・

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行司の年収とその階級別内訳

行司の給料は、日本相撲協会によって定められた階級(番付)に基づいて決定されます。最も下の階級である「序ノ口格」から始まり、最高位は「立行司」となります。階級が上がるにつれて月給が増加し、それに伴い年収も上がります。

以下に、行司の主な階級と推定される月給・年収の目安をまとめました。

階級(番付)月給目安年収目安備考
立行司(たてぎょうじ)40万円~80万円500万円~1,500万円行司の最高位。「木村庄之助」や「式守伊之助」などの名前が与えられます。最も経験豊富で、重要な取組を裁きます。
三役格行司(さんやくかくぎょうじ)36万円~40万円未満432万円~480万円未満立行司に次ぐ高位で、三役の力士の取組を裁くことが多いです。
幕内格行司(まくうちかくぎょうじ)20万円~36万円未満240万円~432万円未満幕内力士の取組を担当します。
十枚目格行司(じゅうまいめかくぎょうじ)10万円~20万円未満120万円~240万円未満十両力士の取組を担当します。30代後半の十両行司で月給約20万円という情報もあります。
幕下格行司(まくしたかくぎょうじ)4万2,000円~10万円未満50.4万円~120万円未満
三段目格行司(さんだんめかくぎょうじ)2万9,000円~4万2,000円未満34.8万円~50.4万円未満
序二段格行司(じょにだんかくぎょうじ)2万円~2万9,000円未満24万円~34.8万円未満
序ノ口格行司(じょのくちかくぎょうじ)1万5,000円~2万円未満(本給)
(初任給例:月14万円)
18万円~24万円未満(本給)
(初任給例:年168万円)
行司の最下位で、初任給は本給に手当が加わり、月14万円程度の場合もあります。

収入の構造
行司の給料は基本的に「本給」と「手当」で構成されています。特に若手や下位の行司は本給が低く設定されていますが、手当を含めることで生活を維持できる水準が確保されています。階級が上がるにつれて本給が増え、それに伴って年収も大きく増加します。

年収の幅
行司全体の平均年収は約200万円~360万円とされていますが、これは階級による大きな差を平均化したものです。最下位の序ノ口格行司の年収が数十万円である一方、最高位の立行司では年収1,300万円から1,500万円に達することもあります。

行司は、単に相撲を裁くだけでなく、巡業や地方場所での準備、その他相撲協会の運営に関わる様々な業務もこなしています。彼らの年収は、これらの責任と長年の経験、そして相撲界における功績を反映していると言えるでしょう。

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師の思い、弟子の苦悩。交錯する土俵の人間模様

風之助が所属した押尾川部屋は、師匠である押尾川親方の「日々精進 日々努力 日々感謝」という理念のもと、力士と裏方が一丸となって稽古に励む部屋として知られています。

親方は、風之助が立行司の木村庄之助に宛てた手紙をきっかけに彼を受け入れた経緯があり、その才能と将来性に大きな期待を寄せていたことは想像に難くありません。

しかし、行司という職業は、部屋に所属しながらも、その身分は日本相撲協会に属するという特殊な立場です。同じ部屋の力士を贔屓することは許されず、常に公正中立な立場で土俵を裁かなければなりません。

また、番付の作成や場内放送、巡業の際の事務作業など、その仕事は多岐にわたります。

特に若手行司の負担は大きく、厳しい上下関係の中で、土俵の仕事と部屋の雑務を両立させなければなりません。

近年、力士の大型化や相撲のスピード化により、行司に求められる身体能力や判断力も増しており、ベテラン行司でさえも差し違えや力士との接触が問題視されるケースが増えています。

こうした厳しい現状が、若い才能の流出を招く一因となっている可能性は否定できないでしょう。

彼が追い求めた、偉大なる先達の背中

式守風之助が憧れた第41代式守伊之助(本名:今岡英樹さん)は、2024年9月場所をもって定年退職した第38代木村庄之助その人です。

少年時代から相撲界に憧れ、力士にはなれずとも裏方として角界を支えたいと、自ら手紙を書いて入門したという経歴は、どこか風之助と重なる部分があります。

41代伊之助は、その正確無比な裁きと、凛とした土俵態度で知られ、多くの力士やファンから尊敬を集めました。しかし、その道のりは決して平坦ではなく、立行司昇進後には差し違えが続いた時期もあり、苦悩の日々を過ごしたこともあったと言います。

風之助は、そんな偉大な先達の背中を追いかけ、その華やかさだけでなく、その裏にあるであろう苦労や葛藤をも含めて、行司という仕事に魅了されたのかもしれません。

🔸式守風之助の中学校は?身長は?🔽

まとめ 土俵を去る若き才能へ、送るエール

18歳という若さで土俵を去る決断をした式守風之助。 その突然の退職は、多くのファンに衝撃と悲しみを与えました。しかし、彼の退職理由が何であれ、それは彼自身が悩み抜いた末に出した結論であるはずです。

公式な発表がない以上、不祥事や人間関係のトラブルといった憶測はあくまで推測の域を出ません。確かなことは、彼が「式守風之助」として土俵に立ち、その真摯な姿で私たちを魅了してくれたという事実です。

名古屋場所千秋楽まで務めを全うし、静かに角界を去っていった一人の若者。その短いながらも鮮烈な輝きは、多くの相撲ファンの心に深く刻み込まれたことでしょう。

今はただ、彼の決断を尊重し、新たな道へと進むその未来が、幸多きものであることを心から願うばかりです。

土俵の上で見せたあの真摯な眼差しがあれば、どんな世界でもきっと彼は輝けるはずです。ありがとう、式守風之助。

そして、頑張れ、渡邉剛翔さん。

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