大辻(おおおつじ)は、高田川部屋に所属する期待の力士で、兵庫県加古川市出身。初土俵を踏んだ2019年から着実に成長を遂げ、ファンからの注目を集めています。
その力士としての実力だけでなく、彼を支える背景にも興味をそそられるものがあります。大辻の中学校時代はどのようなもので、相撲に打ち込むきっかけは何だったのでしょうか。
また、彼の母親や兄弟といった家族のエピソードから、相撲人生にどのような影響を与えているのかも気になります。温かい家庭の支えや地元の応援に背中を押されながら進む大辻の姿には、多くの人が共感を覚えることでしょう。

そんな彼のプロフや家族の物語に迫ります!
大辻(相撲)のwiki風プロフィール


四股名: 大辻 理紀(おおつじ りき)
本名: 大辻 理紀(おおつじ りき)
生年月日: 平成15年10月6日
年齢: 21歳(2025年1月時点)
身長: 181cm
体重: 142.6kg
出身地: 兵庫県加古川市
学歴: 報徳学園中学校卒
所属部屋: 高田川部屋
初土俵: 平成31年3月場所
最高位: 幕下四枚目
得意技: 押し出し、寄り切り
高田川部屋で輝く兵庫県出身の力士


2003年10月6日に生まれた彼は、現在181.0cm、142.6kgの恵まれた体格を持ち、高田川部屋に所属しています。彼の人生と相撲キャリアを紐解き、未来への期待を込めてその魅力を掘り下げていきましょう。
大辻(相撲)の学歴|出身小学校は?
氷丘小学校時代〜相撲力士への原点となった悔し涙


母校の氷丘小学校(同市加古川町中津)で開かれている児童対象の相撲教室を見学した。
引用元:神戸新聞 2022/9/29
大辻理紀関の力士情報を辿ると、その原点は兵庫県加古川市立氷丘小学校にあります。
小学1年生の頃、大辻少年は柔道を習っていました。しかし、ある日の稽古で女の子に負けてしまい、人生で忘れられない悔し涙を流したのです。



「女の子に負けてしまって、すごく悔しくて泣いちゃいました。でも相撲では、みんなに勝ってしまった」
この悔しさこそが、後の力士の大辻を生み出す転機となりました。小学2年生になると、5歳年上の兄・理央さんが通っていた高砂相撲教室に通い始めます。
教室で指導を受けていた力士の姿を見て、大辻少年は心を奪われました。**「やるならプロで」**という強い決意を、この時すでに胸に秘めていたのです。
高砂相撲教室での稽古成果は目覚ましく、わんぱく相撲全国大会には小学4年生から3年連続で出場し、5年生時には8強入りという輝かしい成績を残しました。この頃から「大辻理紀 相撲」の名前は地元でも知られる存在となっていたのです。
大辻(相撲)の学歴|出身中学校は?
報徳学園中学校


報徳学園中学校は、兵庫県西宮市に位置する私立の男子校です。創立は1911年で、教育方針としては「元気で規則正しい生活、明るい学園生活」を掲げています。
偏差値は39から51の範囲で、学年やコースによって異なります。特に、進学を目指す生徒には「Ⅱ進コース」があり、難関国立大学への現役合格を目指すカリキュラムが組まれています
力士名 | 主な成績・活動 | 特記事項 |
---|---|---|
栃乃若導大 | – 元大相撲力士 | 報徳学園中学から相撲道に進出 |
貴景勝貴信 | – 元大相撲力士 | 年寄湊川としても知られる |
武哲山剛 | – 元大相撲力士 | 報徳学園中学での経験を活かして角界入り |
前田一輝 | – 元大相撲力士 | 二所ノ関部屋でマネージャー経験あり |
大辻は、全国中学校相撲選手権大会で個人2位を獲得。さらにはアームレスリングの県大会にも出場するなど、彼の競技に対する真摯な姿勢と多様な取り組みが目を引きます。



“相撲はただ強さを競うだけじゃなくて、自分を鍛える道だと思っています。”
大辻の相撲キャリアの基盤と輝かしい実績
中学3年生で全国中学校選手権準優勝
- 全国中学生が参加する重要な大会で堂々の準優勝を果たす。
- 優勝した吉井虹(現・幕下力士)と共に、卒業後すぐに大相撲界へ飛び込む決断を下す。


白鵬杯で個人3位入賞
- 全国中学校選手権に加え、白鵬杯でも個人3位という輝かしい成績を収める。
- 高いポテンシャルと努力の成果を証明。
報徳学園中学校相撲部での鍛錬
- 中学時代、相撲部での練習に励み、高校生との稽古で体格差を克服する。
- この経験が全国大会での成功を支え、大相撲界への挑戦を後押し。
角界入りの決断
- 中学卒業後、高校進学を選ばず、大相撲の世界へ進むことを決意。
- 早い段階からプロの道を選んだその情熱と覚悟が際立つ。
学園中学校〜本格的な相撲道への挑戦と全国準優勝
この決断は、まさに相撲への本気度を示すものでした。多くの中学生が地元の学校に進学する中、大辻関は自分の夢のために環境を変える勇気を持っていたのです。



「相撲を続けるためには、相撲部のある学校に行くしかありませんでした」
報徳学園中学校での3年間は、大辻関にとって飛躍の時期となりました。しかし、最初は苦労の連続でした。高校生との稽古もあり、体格差に苦しみながらも必死に食らいついていきます。
この努力が実を結んだのが中学3年生の時でした。全国都道府県中学生相撲選手権大会で団体3位、全国中学校相撲選手権大会で個人2位、白鵬杯で個人3位という素晴らしい大辻力士成績を収めたのです。



「優勝できなかった悔しさもありましたが、準優勝できて嬉しかったです」
興味深いのは、大辻関が相撲だけでなく、母親の影響でアームレスリングにも取り組んでいたことです。中学3年生時には県大会にも出場しており、多才な一面を見せています。
高田川部屋での挑戦
高校進学を選ばなかった理由〜プロ力士への一直線な道


この決断には、家族との重要な約束がありました。母親の真理子さんとは**「中卒で入るなら、20歳までに十両になること。ダメなら辞める」**という厳しい約束を交わしていたのです。



「やるなら本気でやりたかった。高校に行くより、1日でも早くプロになりたかったんです」
高田川部屋は数々の優れた力士を輩出してきた名門であり、大辻にとって最高の環境と言えるでしょう。
高田川親方について尋ねられた際、大辻はこう語っています。



“親方の厳しさと優しさが僕を成長させてくれます。稽古の中で学ぶことが本当に多いです。”
大辻の実家や家族は?
実家の温かい支え〜加古川市5人家族の絆
この家族の絆こそが、大辻関の強さの源泉となっています。加古川市という地域全体が、大辻関を温かく見守っているのです。
大辻力士勝敗に一喜一憂しながらも、家族は常に温かく支え続けています。十両昇進の知らせを受けた時、家族全員で喜びを分かち合いました。
家族構成
父
母:真理子さん(元アームレスリング選手)
姉
兄:理央さん(大辻企画代表、柔道整復師志望)
本人:大辻理紀



“家族がいなかったら、ここまで頑張れなかったと思います。感謝の気持ちを忘れずに、これからも努力します。”
大辻の家族|母は?
母・真理子さんの影響〜アスリート精神の継承
大辻関の母親である真理子さんは、以前アームレスリングの選手として活躍していました。
この母親のアスリート経験が、大辻関にも大きな影響を与えています。大辻関が相撲以外にもアームレスリングに取り組んでいたのは、まさに母親の影響でした。
真理子さんは息子の相撲への取り組みを全面的にサポートしながらも、甘やかすことはありませんでした。**「20歳までに十両になれなければ辞める」**という約束は、息子の本気度を試すものでした。
また、真理子さんは小学生の頃から高田川部屋との縁を築いていました。9代高田川(元関脇・安芸乃島)の親族との知り合いという縁で、大辻関が稽古に参加する機会を作ってくれたのです。
母親のこのような先見性と行動力が、現在の大辻関の成功につながっています。
大辻の家族|兄は?
兄・理央さんの熱い想い〜大辻企画と地域貢献
理央さん自身は柔道の道を選び、大学卒業後は柔道整復師の資格取得を目指しながら、母校の小学校で放課後教室の室内相撲指導員も務めていました。
そんな理央さんが立ち上げたのが**「大辻企画」**です。この企画の目玉が、兵庫県加古川市の鶴林寺で開催される「泣き相撲奉納」です。
理央さんは2020年から「泣き相撲奉納」を企画・運営しています。2025年で6回目の開催を迎えるこのイベントは、地域に根付いた行事として定着しています。
「泣き相撲奉納」は、赤ちゃんを授かったことに感謝し、健康と成長を祈願する日本の伝統行事です。神聖な土俵に素足をつけることで病気や不運を払うと言われており、鶴林寺では勝敗を引き分け(あずかり)とする心温まるイベントとなっています。



“いつかは地元の皆さんの前で活躍する姿を見せたいです。それが僕の夢です。”
高田川部屋での成長〜大辻力士付き人時代の教訓
幕下時代、「大辻力士付き人」として玉鷲関を支えていました。40歳を迎えてもなお幕内で活躍するベテラン力士の背中から、多くのことを学んだのです。
玉鷲関の強さの秘訣は、オンオフの切り替えにあります。この姿勢を間近で見ることで、大辻関は気持ちの持ち方について深く学びました。



「玉鷲関につかせてもらったのが勉強になりました。それがひとつの転機になった」
高田川親方も、玉鷲関の存在が大辻関にとってプラスになっていることを認めています。
この「大辻力士付き人」時代の経験が、現在の大辻関の精神的支柱となっているのです。
大辻の力士としての成績と技
得意技は押し出し(50%)、寄り切り(19%)、突き出し(8%)で、これらの技術が彼の強みを支えています。
大辻関の相撲は、入門当初のもろ手突きから、現在の低く当たるスピード重視の取り口に変化しています。
2021年11月場所で大きく負け越したことを機に、取り口を大幅に改革しました。この技術的な進化が、その後の大辻力士成績向上につながっています。
身長181cm、体重142.6kgという体格を生かし、相手を圧倒する相撲を取っています。血液型はO型、愛称は「リッキー」として親しまれています。
主な大辻力士成績:
2025年5月場所:東幕下3枚目で全勝優勝
2025年3月場所:東十両14枚目(初十両)
2025年1月場所:西幕下5枚目で5勝2敗(十両昇進決定)
通算成績:144勝101敗15休(37場所)



“もっと上を目指します。次の場所ではさらにいい成績を残して、関取の座をつかみ取りたいです。”
まとめ
大辻理紀関の歩みを振り返ると、家族の愛情、地域の支援、そして本人の不屈の精神が見事に結実した物語であることがわかります。
氷丘小学校での相撲との出会いから、報徳学園中学校での本格的な取り組み、そして高田川部屋での成長まで、すべてが現在の成功につながっています。
「大辻の力士情報」を調べれば調べるほど見えてくるのは、彼の真摯な人柄です。本名をそのまま四股名として使用していることからも、その姿勢がうかがえます。
加古川市出身の力士として、地元への恩返しの気持ちも忘れません。兄の理央さんとともに地域の相撲文化発展に貢献したいという想いは、大辻関の人間性の素晴らしさを物語っています。
「大辻」の名とともに、彼がどのような活躍を見せてくれるのか、今後の相撲界での飛躍が大いに期待されます。
横綱という大きな夢に向かって、家族の支えを受けながら歩み続ける大辻理紀関。「力士の大辻」として、多くの人々に勇気と感動を与え続けることでしょう。