朝日がまだ昇り切らない早朝、東京の下町に響く力強い四股の音。その音の主は、モンゴル出身の大相撲力士、水戸龍聖之関。彼の相撲人生には誰も知らない物語と、ファンの間で語られる「会長」という異名があります。

なぜ彼は「会長」と呼ばれるのか——その真相に迫ります。
水戸龍のwiki風プロフィール


謎に包まれた大型力士、水戸龍とは!?



まずは水戸龍関の基本的なプロフィールから見ていきましょう。
- 四股名:水戸龍 聖之(みとりゅう きよゆき)
- 本名:バーサンスレン・トゥルボルド
- 生年月日:平成6年4月25日
- 年齢:30歳(2025年4月現在)
- 身長:190.0cm
- 体重:190.0kg
- 血液型:A型
- 出身地:モンゴル・ウランバートル
- 学歴:鳥取城北高等学校→日本大学
- 所属部屋:錦戸部屋
- 初土俵:2017年5月場所
- 最高位:東前頭13枚目
- 得意技:右四つ・寄り
- 趣味:映画鑑賞・ダーツ
- スポーツ経験:柔道、バスケ、スピードスケート
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水戸龍が会長となぜと呼ばれる理由は?


期待の星から「会長」へ——水戸龍関の不思議な異名
「水戸龍?ああ、あの『会長』ね」
ネット上の相撲ファンの間では当たり前のように使われるこのニックネーム。しかし、その由来を知る人は意外と少ないのです。
AbemaTVの相撲中継を見ていたある視聴者が、なぜ水戸龍関が「会長」と呼ばれるのか疑問に思い、Yahoo!知恵袋で質問を投稿しました。
その答えが、意外な真相を明かしています。
「5ちゃんねるなどの匿名掲示板で、十両から落ちず幕内にも上がらずという成績の力士たちを『十両互助会』と呼ぶ人がいます。
十両互助会というのは以前八百長問題が出た時にあったと言われている、星の貸し借りをする力士たちの集団です。
既に八百長問題は一定の解決を見ているのですが、今でも上手いこと勝ったり負けたりして十両で留まり続けている人たちをそう呼ぶことがあるみたいですね。で、水戸龍はその会の『会長』と言われています。」



あくまでもネット上での呼び名であって、水戸龍関にとっては余計なお世話ですよね!
この異名には、十両という位置に長く留まる水戸龍関の相撲人生が凝縮されていたのです。
天才の宿命——輝かしい過去と現実のギャップ


1994年4月25日、モンゴル国ウランバートル市に生まれた水戸龍関(本名:バーサンスレン・トゥルボルド)は、2010年に来日しました。彼は同じ飛行機で来日した照ノ富士関、逸ノ城関と共に、モンゴルからの新星として期待されていました。
鳥取城北高校に留学した水戸龍関は、その後日本大学相撲部へと進学。大学時代には驚異的な活躍を見せ、アマチュア横綱と学生横綱の二冠を達成する輝かしい実績を残しました。日大相撲部では外国人力士として初めてキャプテンを務め、その人望や統率力も評価されていたといいます。
「高校から相撲を始めながら、大学で素晴らしい実績を残しています。才能だけでいえば、天才も天才ですよ」と、高砂一門の関係者は評します。
大学卒業後、幕下15枚目付け出しの資格を得て、元関脇・水戸泉が師匠を務める錦戸部屋に入門。その入門時、師匠の錦戸親方は「どんな記録をつくるのか」と期待を寄せていました。
しかし、プロの世界は厳しく、華々しい実績を残したアマチュア時代とは異なる現実が待ち受けていました。
「十両互助会」の謎——ネット文化が生んだ皮肉な称号


相撲ファンの間で使われる「十両互助会」とは、長期間にわたって十両ランクに留まり続ける力士たちを指す俗称です。
「互助会」という名前には、かつて八百長問題で取り沙汰された「星の貸し借り」を連想させる皮肉が込められています。もちろん、現在の相撲界で八百長が行われているという意味ではなく、結果として長く十両に留まり続ける力士に対する冗談めいたニックネームなのです。
そして、水戸龍関はその「十両互助会」の「会長」と呼ばれるようになりました。
5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の相撲板では、十両互助会のメンバーが次々と名前を連ねるスレッドが立ち、その中で水戸龍関は筆頭として「会長」の座に祭り上げられていたのです。
「水戸龍会長が退陣となれば、後任の今場所会長代理を務めた岩崎勘定大臣が有力。週末の定例閣議で話し合われる。【サポーツニッポン】」
このような冗談めいた「閣議」がネット上で繰り広げられ、互助会の「役職」が付けられていく様子は、相撲ファンの間での一種の遊びとなっていました。
停滞の理由——才能を開花させられなかった環境
まず大きな要因は、所属する錦戸部屋の環境です。水戸龍関が入門した当時、錦戸部屋には少数の力士しかおらず、十分な稽古相手がいませんでした。しかも、師匠の錦戸親方(元関脇・水戸泉)は人工透析を受けており、十分な指導ができる状態ではなかったといいます。
「入門時点で部屋に少数の弱い力士しかおらず、まともな稽古相手がいませんでした。親方は人工透析で留守勝ちで、部屋付親方も指導力がありません」と、ある相撲ファンは分析しています。
さらに、部屋の環境は年々厳しくなっていきました。錦戸親方が2016年2月に現おかみさんと結婚して以降、弟子たちが相次いで辞めていき、後援会長とも関係が悪化。2022年には実質水戸龍関ただ一人しか所属力士がいないという異常事態に陥っていたのです。
「一人、また一人と力士が辞め、いまや番付に名前がある力士は水戸龍ただ一人。そんな環境に嫌気が差したのか、やる気はあまり見られませんね」と、高砂一門の関係者は証言しています。
想像してみてください。朝稽古の時間、広い稽古場に一人だけの姿。相撲は本来、多くの力士と切磋琢磨し、ぶつかり合いながら強くなる競技です。そこに相手がいなければ、どれほど才能があっても伸ばすことは難しいでしょう。
そして、コロナ禍が追い打ちをかけました。感染拡大防止のため出稽古が禁止され、水戸龍関は一人で四股を踏む程度の稽古しかできない時期もあったといいます。
会長の苦悩——才能と現実の狭間で
実は、彼は非常に優しい性格の持ち主だといいます。日大時代には外国人力士として初のキャプテンを務めるなど、人望も厚かったようです。
「わざわざ優しい性格の親方かつ弱小の部屋を選んで入門していますし」という指摘もありました。つまり、水戸龍関は厳しい環境で己を鍛えるというより、居心地の良い環境を選んだ可能性があるというのです。
しかし、それは必ずしも悪いことではありません。相撲界には様々な力士がいて、それぞれの生き方があります。水戸龍関は、自分のペースで相撲と向き合ってきたのかもしれません。
持病の腰痛や右踵の怪我も、彼の成績に影響を与えてきました。体格に恵まれた大型力士ですが、怪我との闘いは常に彼の側にありました。
一方で、最近の水戸龍関には変化の兆しも見えています。2024年3月場所では、十両で12勝3敗の好成績を挙げ、2度目の十両優勝を果たしました。この結果により、5月場所では6場所ぶりの幕内復帰を果たしたのです。
「ちょっと緊張した」と言いながらも、満面の笑みを浮かべる水戸龍関の姿がそこにはありました。
「会長」の座を揺るがす躍進——水戸龍関の奮闘


水戸龍関は2022年9月場所で初めて幕内に昇進しました。照ノ富士や逸ノ城と同時期に来日してから12年、ようやく最高位の幕内に到達したのです。幕内昇進は、すなわち「十両互助会」からの卒業を意味します。
しかし、この時は残念ながら幕内での定着はかないませんでした。その後も十両と幕内を行き来する生活が続きました。
2024年3月場所での十両優勝により、5月場所では東前頭13枚目として再び幕内の土俵に立った水戸龍関。しかし、ここでも11日目から怪我のため休場するという不運に見舞われました。
このように、水戸龍関の相撲人生は上がったり下がったりの連続です。それでも、彼は決してあきらめることなく、自分の相撲を続けています。
ファンの愛がニックネームに変わるとき
「別の部屋に入っていれば……」
この言葉には、水戸龍関の才能を認め、より良い環境であれば大成したのではないかという惜しむ気持ちが込められています。
相撲ファンの間では、水戸龍関の苦労や努力を知っているからこそ、「会長」という言葉に親しみを込めている部分もあるのです。それは皮肉でありながらも、ある種の応援の形なのかもしれません。
実際、インターネット上では水戸龍関の活躍を願う声も少なくありません。
「ただしこれからずば抜けた素質で巻き返すと思います。学生時代から頭脳、人望、統率力、指導力等全て兼ね備え大器晩成でしょう。仮に現役が不遇で終わっても親方になってから一花も二花も咲かせるでしょう。」
このようなファンの期待の声もあります。彼の素質を信じ、いつか大きく花開くことを願っているのです。
錦戸部屋の復活と水戸龍関の未来


また、水戸龍関も以前よりも積極的に出稽古に出るようになりました。2024年3月1日には、大阪市中央区の高砂部屋へ出向いて春場所へ向けての稽古を行ったことが報じられています。かつてのライバルである高安関らと稽古をつけることで、自らを高めようとする姿勢が見えます。
水戸龍関は現在30歳。相撲界では決して若くはありませんが、まだまだこれからの活躍が期待できる年齢です。晩成型の力士として大きく飛躍する可能性も十分にあります。
「大器晩成でしょう」というファンの言葉通り、これからが水戸龍関の本当の姿を見せる時かもしれません。
会長からの卒業——新たな異名を目指して
それは、彼自身の努力と運命次第です。幕内で定着し、関取として名を上げれば、「十両互助会会長」という異名はいつか過去のものとなるでしょう。
しかし、その異名が彼の相撲人生の一部として語り継がれることは間違いありません。それは、困難な環境の中でも諦めずに相撲を続けてきた証でもあるのです。
土俵上で四股を踏み、塩を撒き、立ち合いに臨む水戸龍関。その姿には、相撲への純粋な愛情が感じられます。相撲界の栄誉や地位よりも、相撲そのものを愛し、続けてきた力士の姿があるのです。
まとめ 異名の背後にある真実——水戸龍関の本当の姿
ネット文化が生んだニックネーム、アマチュア時代の輝かしい実績、プロの厳しい現実、そして部屋の環境問題。これらが絡み合って「会長」という異名が生まれ、定着していったのです。
しかし、水戸龍関の本当の姿は、そんな異名だけでは語り尽くせません。彼は何よりもまず、モンゴルから来日し、言葉や文化の壁を乗り越えて日本相撲界で活躍する一人の力士です。
水戸龍関の相撲人生はまだ続いています。これからどんな活躍を見せてくれるのか、どんな新しい異名が付けられるのか——それは誰にも分かりません。
ただ一つ確かなことは、「会長」と呼ばれることになった水戸龍関の相撲人生には、多くのファンが共感し、応援している事実です。彼の奮闘は、決して無駄ではなかったのです。
朝靄の中で一人黙々と稽古を続ける水戸龍関の姿。その向こうには、まだ見ぬ光明が待っているかもしれません。「会長」の異名を笑いに変え、新たな伝説を紡ぐ日が、きっと来るでしょう。
土俵の砂を噛みしめながら、水戸龍関は今日も前を向いて相撲を取り続けています。