大相撲の世界で、ひたむきに土俵を務め続ける力士、飛燕力敬介。彼の相撲人生は、決して順風満帆とは言えません。幾度となく訪れる試練を乗り越え、40歳を超えた今もなお、土俵に立ち続けるその姿は、多くの人々に感動と勇気を与えています。

本稿では、飛燕力のこれまでの道のりを振り返り、その不屈の精神に迫ります。
飛燕力(大相撲)のwiki風プロフィール


しこ名:飛燕力 敬介(ひえんりき けいすけ)
本名:吉川 敬介(よしかわ けいすけ)
生年月日:1983年(昭和58年)3月6日
年齢:42歳
身長:178.0cm
体重:125.0kg
血液型:O型
出身地:新潟県燕市
学歴:不明
所属部屋:押尾川部屋
初土俵:1998年(平成10年)3月場所
最高位:幕下29枚目
得意技:右四つ・出し投げ
飛燕力(大相撲)の学歴は?
出身中学校は不明


飛燕力、本名吉川敬介は、1983年3月6日に新潟県燕市で生まれました。幼い頃から相撲に親しみ、その世界に憧れを抱いていた吉川少年は、中学卒業後、元大関・大麒麟が師匠を務める押尾川部屋に入門。1998年3月場所、15歳で初土俵を踏みました。
同期には、追風海、玉乃島、北太樹、玉飛鳥など、後に幕内や十両で活躍する力士たちが名を連ねていました。しかし、吉川少年の相撲人生は、決して順調なスタートとは言えませんでした。
※出身中学校は分かり次第、追記していきます。
飛燕力の大相撲での経歴は?
飛燕力の長い下積み時代


2002年9月場所には、初めて三段目に昇進するも、1場所で陥落。その後も、三段目と序二段を行き来する苦しい時期が続きました。
2003年3月場所、故郷・燕にちなんだ「飛燕力」に改名。心機一転、新たな気持ちで土俵に臨むも、状況はなかなか好転しません。2005年3月場所には、師匠の定年退職に伴い、押尾川部屋が閉鎖。飛燕力は、尾車部屋に移籍することとなりました。
環境が変わり、心機一転とはなりましたが、上位へ駆け上がる事は出来ませんでした。
尾車部屋では、日本相撲協会理事でもある尾車親方(元大関・琴風)の付け人や、ちゃんこ番などの雑用もこなしていました。地道な努力を重ねながらも、飛燕力の番付は、三段目の中位から下位を上下する日々が続きました。
遅咲きの才能開花
この場所で、飛燕力は快進撃を見せ、13日目には6戦全勝同士の対戦で、初土俵以来無敗の20連勝中だった安彦を破り、安彦に初黒星をつけると同時に、自身も初土俵から98場所目にして初の各段優勝となる三段目優勝を果たしました。
7戦全勝での優勝は、飛燕力の長年の努力が実を結んだ瞬間でした。翌9月場所には、99場所目にして初の幕下昇進を手にしました。
幕下での苦戦と大怪我


2018年5月場所、飛燕力は、2番目の相撲で右膝前十字靭帯断裂という大怪我を負い、途中休場を余儀なくされます。初土俵以来初の休場、そして連続出場も834でストップしました。
年齢的な理由から手術は回避し、下半身のトレーニングを強化して怪我を克服することを選択しました。長期的な休場も予想されましたが、飛燕力は不屈の精神でリハビリに取り組み、見事に土俵に復帰します。
7月場所では、2007年11月場所以来となる序二段への陥落となりましたが、4勝3敗と勝ち越しました。これは、怪我からの復帰後、すぐに結果を残したことを示しており、彼の底力とプロ意識の高さがうかがえます。



両足、膝のテーピングから40代でも現役を続ける不屈の精神を感じますね!
飛燕力の相撲の成績は?
古巣への復帰と新たな挑戦
40歳を超えての古巣復帰は、飛燕力にとって新たな挑戦でした。しかし、飛燕力は、年齢を感じさせない若々しい相撲で、再び土俵を沸かせます。
2025年3月場所終了現在、飛燕力の通算成績は540勝569敗4休(160場所)。各段の優勝経験としては、三段目優勝が1回(2014年7月場所)あります。
近年の成績を見ると、令和七年三月場所では東序二段六十七枚目で6勝1敗と惜しくも優勝を逃しました。
その前の令和七年一月場所では東序二段三十五枚目で2勝5敗、令和六年十一月場所は東序二段五十五枚目で4勝3敗、令和六年九月場所は西序二段三十枚目で3勝4敗、令和六年七月場所は東序二段五十六枚目で4勝3敗となっています。
40歳を超えてもなお、下位の地位ながらも勝ち越しを決めるなど、その健在ぶりを示しています。


四股名 | 生年月日 | 年齢 (2025年3月時点) |
---|---|---|
聡ノ富士 (Satonofuji) | 1977年4月15日 | 47歳 |
栃春日 (Tochikasuga) | 1984年10月1日 | 40歳 |
克乃富士 (Katsunofuji) | 1985年5月4日 | 39歳 |
玉鷲 (Tamawashi) | 1985年11月16日 | 39歳 |
東浪 (Tounami) | 1985年11月29日 | 40歳 |
奄美岳 (Amamidake) | 1985年11月29日 | 39歳 |
かつての土俵を沸かせた力士たちが、今なお戦い続けています。40代後半を迎える聡ノ富士の姿は、まさに相撲道に人生を捧げた証です。40歳を超えれば多くの力士が引退を選ぶ中、彼はなぜ土俵に立ち続けるのか。その理由を知りたくなりませんか?
さらに、玉鷲、東浪、奄美岳らも40歳を迎え、なお現役を続けています。彼らの相撲には、ただ勝つためだけではない、何か強い信念が感じられます。幾度となく怪我と向き合いながら、それでも土俵に上がる理由とは何でしょうか。
年齢を言い訳にせず、ひたむきに挑戦し続ける力士たち。その生き様を、これからも目に焼き付けていきましょう!


まとめ
飛燕力は、40歳を超えてもなお、土俵に立ち続けるベテラン力士です。彼のこれまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでしたが、不屈の精神で数々の困難を乗り越えてきました。
飛燕力の相撲は、決して派手ではありません。しかし、愚直なまでに真っ向勝負に徹するその姿は、多くの人々に感動と勇気を与えています。
遅咲きの才能を開花させ、40歳を超えてもなお進化を続ける飛燕力。彼の今後の活躍に、期待せずにはいられません。